RCCラジオ | 第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 放送時間 |
放送日(毎週土曜) | 11月14日 | 11月21日 | 11月28日 | 12月5日 | 午後9時−9時30分 |
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史上初の総力戦となった第一次世界大戦の後、ヨーロッパ各国で軍国主義や排他的ナショナリズムが強まる一方で、その反動として平和思想の高まりがみられました。ヨーロッパ統合や国際法整備のための努力がなされると同時に、平和運動が大衆運動として発展していきました。敗戦国ドイツにおいても根強い軍国主義と立ち向かう平和主義者の活動が見られます。
彼らの平和運動は1933年のナチ体制の成立を防ぐことができませんでしたが、「平和主義」の歴史にとっては大きな意味を持つものでした。このドイツの例を振り返りながら、19世紀末から20世紀前半にかけてのヨーロッパの「平和」に関する議論を概観します。
1933年以降の第三帝国下、人権の抑圧はどう展開したのでしょうか。ホロコーストと呼ばれるユダヤ人絶滅政策は1941年の独ソ戦以降に始まります。では「平和」時に、人権抑圧はなかったのでしょうか。そうではありません。障害を持ち「遺伝病患者」とされた人への強制断種政策、ユダヤ人の権利剥奪や第三帝国からの追放などは当初から準備され、「科学性・効率性」追求の名の下に次第に実行されました。ただし、反ユダヤ主義や断種といった考え方は、ドイツ特有ではなかったのです。それらを振り返り、戦争が人権抑圧に与えたインパクトや、現在のドイツでの「過去」のとらえ方についても話してみようと思います。
1945年、敗戦と共に歴史的声望のすべてを失ったドイツは、どのようにして戦後国際社会に復帰していったのでしょうか。
戦後復興期において西ドイツは、アメリカとの関係だけでなく、むしろそれ以上に、どのようにしたら「ヨーロッパの一員」として、かつて戦争をした近隣諸国に受け入れてもらえるかに意を用いました。その容易ならざる課題に対するアプローチを、最近は経済の側面に偏って議論されがちなヨーロッパ統合、ともすると「平和」と対立するものととらえられがちな再軍備を中心に振り返ります。
現在のヨーロッパ連合(EU) は、当初は経済的な共同体として出発しました。経済面から行なわれる規制が、加盟国が築いてきた国内での人権保障体制に矛盾する可能性、政治的な統合へと進むために重要度を増してくる市民権の象徴的な意義、そして、人の移動が自由化されるにともなって重みを増す移民・難民問題。これらは通常は一国の主権の範囲内で考えられる問題ですが、統合が進むにつれてすべてEUという枠組みを無視することはできなくなりました。
これらの問題にヨーロッパはどう対応してきたのか、また対応しようとしているのかについて今回は考えてみたいと思います。