2009 広島大学・中国放送共同制作番組 広島大学テレビセミナー・ラジオセミナー

広島大学テレビセミナー1「広島大学ラジオセミナー「平和のカタチ〜ヨーロッパ・ドイツにみる平和と人権〜」」
日本においてかつて強かった「脱亜入欧」意識や、近代ヨーロッパを日本がめざすべき社会のモデルと単純に考えることには慎重にあるべきですが、だからといって「もうヨーロッパから学ぶものはなくなった」というわけではありません。人権の観念はヨーロッパで生まれましたが、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺のような想像を絶する人権蹂躙(じゅうりん)が行われたのもヨーロッパであり、平和をめぐる深い思想の系譜がありながら、20世紀前半までは戦争が繰り返されました。このような苦しい歴史に向き合いながら、第二次大戦後はそれまでとは異なるヨーロッパを作り上げようと必死の努力が重ねられて現在に至っていますが、そこにはどのような「光と影」があるのでしょうか。このセミナーではドイツを中心にして、「平和」「人権」をキーワードに、20世紀のヨーロッパが投げかける問題を考えます。
(ナチス・ドイツ:ナチ・ドイツという表記もある。)


<放送のご案内>
RCCラジオ 第1回 第2回 第3回 第4回 放送時間
放送日(毎週土曜) 11月14日 11月21日 11月28日 12月5日 午後9時−9時30分
※放送時間が変更になることがありますのでご承知おき下さい。
聞き手:吉田 幸

第1回 平和運動のはじまり・第一次世界大戦・ヴァイマル(ワイマール)共和国
竹本 真希子(たけもと まきこ)[広島市立大学広島平和研究所 講師]

史上初の総力戦となった第一次世界大戦の後、ヨーロッパ各国で軍国主義や排他的ナショナリズムが強まる一方で、その反動として平和思想の高まりがみられました。ヨーロッパ統合や国際法整備のための努力がなされると同時に、平和運動が大衆運動として発展していきました。敗戦国ドイツにおいても根強い軍国主義と立ち向かう平和主義者の活動が見られます。
彼らの平和運動は1933年のナチ体制の成立を防ぐことができませんでしたが、「平和主義」の歴史にとっては大きな意味を持つものでした。このドイツの例を振り返りながら、19世紀末から20世紀前半にかけてのヨーロッパの「平和」に関する議論を概観します。

第2回 ナチ第三帝国・ホロコースト・第二次世界大戦
長田 浩彰(ながた ひろあき)[総合科学研究科 准教授]

1933年以降の第三帝国下、人権の抑圧はどう展開したのでしょうか。ホロコーストと呼ばれるユダヤ人絶滅政策は1941年の独ソ戦以降に始まります。では「平和」時に、人権抑圧はなかったのでしょうか。そうではありません。障害を持ち「遺伝病患者」とされた人への強制断種政策、ユダヤ人の権利剥奪や第三帝国からの追放などは当初から準備され、「科学性・効率性」追求の名の下に次第に実行されました。ただし、反ユダヤ主義や断種といった考え方は、ドイツ特有ではなかったのです。それらを振り返り、戦争が人権抑圧に与えたインパクトや、現在のドイツでの「過去」のとらえ方についても話してみようと思います。

第3回 平和・ヨーロッパ統合・ドイツ再軍備
安野 正明 (やすの まさあき)[総合科学研究科 教授]

1945年、敗戦と共に歴史的声望のすべてを失ったドイツは、どのようにして戦後国際社会に復帰していったのでしょうか。
戦後復興期において西ドイツは、アメリカとの関係だけでなく、むしろそれ以上に、どのようにしたら「ヨーロッパの一員」として、かつて戦争をした近隣諸国に受け入れてもらえるかに意を用いました。その容易ならざる課題に対するアプローチを、最近は経済の側面に偏って議論されがちなヨーロッパ統合、ともすると「平和」と対立するものととらえられがちな再軍備を中心に振り返ります。

第4回 統合ヨーロッパの人権問題
中坂 恵美子(なかさか えみこ)[社会科学研究科 准教授]

現在のヨーロッパ連合(EU) は、当初は経済的な共同体として出発しました。経済面から行なわれる規制が、加盟国が築いてきた国内での人権保障体制に矛盾する可能性、政治的な統合へと進むために重要度を増してくる市民権の象徴的な意義、そして、人の移動が自由化されるにともなって重みを増す移民・難民問題。これらは通常は一国の主権の範囲内で考えられる問題ですが、統合が進むにつれてすべてEUという枠組みを無視することはできなくなりました。
これらの問題にヨーロッパはどう対応してきたのか、また対応しようとしているのかについて今回は考えてみたいと思います。