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放送日(毎週土曜) | 11月15日 | 11月22日 | 11月29日 | 12月6日 | 午後9時−9時30分 |
※放送時間が変更になることがありますのでご承知おき下さい。 |
まず中国の悠久の歴史の中での教育の諸相を振り返ります。北京の中心部,かつての王宮である故宮からほど近い成賢街という通りには,今も孔子廟と並んで,国子監と呼ばれる近代以前の「大学」が残っています。そこには,科挙,つまり古代の官吏登用試験の合格者を顕彰する石碑群も見られます。中国教育の歴史の中には,学校・博士といった日本語になっている言葉の起源が見いだされ,人材養成システム(学校)と人材選抜システム(科挙)の関係のような教育をめぐる今日的問題を考える手掛かりも含まれます。
近代以降の中国は,列強による侵略に脅かされ,やがて「半植民地」と形容される状態に陥り,絶えざる戦乱の中にありました。中華思想の揺らぎの中で,教育を含む諸制度の近代化を図るため,日本をはじめとする外国モデルの摂取が進みました。多数の日本人顧問・教習が海を渡り,また中国人留学生が来日して,日中間で頻繁な交流がなされました。やがて日中間には不幸な時代が訪れますが,うち続く戦乱の中で教育や研究を維持するために,多くの知恵と工夫が見られたことも見逃せません。
日中戦争,国共内戦と長い戦乱を経た1949年に中華人民共和国が誕生したとき,教育はきわめて立ち後れた状況にありました。それを克服するために,さまざまな措置が講じられましたが,教育はその時々の政治状況の変化の中で紆余曲折に満ちた展開を示すことになりました。なかでも政治に翻弄されることの多かったのは「大躍進の時期」と「文化大革命の時期」であり,これらの時期には教育学的に見て興味深い独特の試みが繰り広げられました。
改革開放政策がとられ,市場主義経済体制への移行が進む中で,教育界にも種々の新しい現象が生じました。今や教育を受ける者の数から見て世界一の「教育大国」と呼ぶことができる中国の教育は,受益者負担の原則,貴族学校の出現,エリート大学への重点支援,数学オリンピックでの好成績,国境を越える教育など,華々しい側面の一方,教育における地域間格差や,四川省大地震での学校倒壊で露呈した経済開発の教育へのしわ寄せなど,光と影の両側面を抱えています。