Eタウン
2005年2月12日
激動の時代を駆け抜けた男「今蘇る松田恒次の魂」
照一隅者是国士(宝)
「一人ひとりが隅を照らし、会社や国を構築していくんだという恒次さんの思想。これは遺伝子というより『文化』ですよ。考えるチカラっていうのはつくづくスゴイ!」
コータリ人形
■生誕110周年特別企画パート2。松田恒次の経営哲学と人生観とは?!
東洋工業(現マツダ)の2代目社長、松田恒次(1895〜1970)。それまで三輪自動車メーカーだった東洋工業を4輪自動車メーカーに育て上げ、しかも世界の誰もが成し遂げられなかったロータリーエンジンの開発に心血を注ぎ込むという、その優れた先見性、忍耐力、経営采配は多くの人が認めるところでもあります。時を越えて今も語り継がれる彼の人間像に、2週に渡り迫ります。
「現在は日本でもアメリカでも、企業が危機的状況に見舞われた時に備えて、維持再生プランの作成が盛んに行われていますけど、松田恒次はそれを実践した人でもありますね」
「原爆投下後の広島もそうですが、日本全体では目標を見失ってボーッと放心状態に陥ってしまった人と、残された命を仕事に活かそうとガムシャラに突き進んだ二通りに別れると思う。その後者が未来を作ったんです」

■廃虚の街から立ち上がった、恒次ならではの経営哲学
日本経済の近代史を語る上で欠かせない大きな事件が1945年の敗戦。広島においては原爆投下という大変な災厄を経験することになるわけですが、かろうじて被爆を免れた松田恒次は、弟を亡くした悲しみに立ち向かうように、すぐさま車の生産再開へ動き出しました。そしてその年の12月には三輪自動車の出荷にこぎ着けたというから、その負けん気はハンパじゃありません。終戦直後ということもあり、他メーカーが鍋や釜などを一時しのぎ的に生産する中、あくまで自動車作りにこだわったことにも、妥協を許さない恒次の強靱な姿勢がうかがえます。
彼の愛した座右の銘は「照一隅者是国士(一隅を照らす者、是、国士)」。国士たらんと、常によりよい車を作り出そうと努力することに生き甲斐を感じていた恒次の熱い思いは、価値観が多様化する現代においても充分生きたコトバとして我々の胸を打ちます。
また、風通しのよい職場環境作りにも留意したり、早くから「お得意様のためになる製品を」という社是をかかげるなど、経営者としても当時から最先端を走っていたわけなんですね。
「恒次さんは二代目社長なんだけど、効率やコストうんぬんだけを考えるのではなく、人間と人間がどうあるべきかをずっと見ていた。まさに創業者の風格だ」

■マツダスピリッツの結晶、REの未来ビジョン
1991年、ル・マン24時間耐久レースにおいてマツダのロータリーエンジン搭載車が見事総合優勝を成し遂げました。同年の東京モーターショーでは水素RE車を発表。そして昨年秋には水素・ガソリン併用の研究開発車がいよいよ公道実験を開始する等、恒次のチャレンジスピリットの遺産は、未来に向けて今も走り続けているのです。まさに広島の誇りですね!
「水素とREってすごく相性いいみたい。楽しみだなぁ」


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